斬れば血が出る、血が出れば痛い……のが身体というものである(おおむね)。
その痛いはずの身体が、時代やその身体の持ち主の年齢や、“心的状況”によっては痛みを感じないこともあるらしい……と、私は中年を過ぎた頃に気がついたのだ。痛みに限らず身体的な刺戟に対してもっとも敏感な幼児期はともかく、思春期から青年期にかけて、どうもあまり痛いと思わなかったようなのだ。
“斬られても、痛くない”。ケガをしてもガマン……痛くない痛くない! とアタマの命ずるままに、その時代を過ごしていたようなのだ。その時代は、今と違って都会の街頭であれ、大学のキャンパスであれ、日常に“血を見る”ことはそう珍しいことではなかった。
映画を見れば高倉健が背中にしょった唐獅子牡丹まで血しぶきで飾って見得をきっているし、少年漫画の中でさえ鼻血ブー!! と血が飛び散っていた。
さらに、近隣のアジアの国々では、血が出て痛いどころか毎日のように人間の本物の命が失われ続けていたのである。今考えるとヘンな時代(大変な)時代……と、言うべきなのか。やっぱり今がフツーで、あの頃がヘンだったのか
これが§1のテーマである。
歴 史
"日常に血を見ることが珍しくなかった"時代は、いつごろ始まり、いつ終わったのか。
終わりのほうは案外はっきりと言えるのではなかろうか。昭和30年代後半、東京オリンピック、大阪万博である。そのあとの数年、「浅間山荘事件」や、「連合赤軍事件」などが起こっているが、これらはその残照というか、血を見ることはもう、「犯罪」のような非日常性の出来事に限られていく時代の先駆け的な事件だったのだろう。その後は、サカキバラや( 年)、07年の母親殺し、祖父殺し事件のように…。
さて、では始まりは? となると江戸時代か、戦国時代か、いや源平合戦か、それとも大化の改新?と、どんどんさかのぼってしまう。これでは際限がないし、あまりにも大雑把だし、だいいち「歴史」の勉強では、生身の身体は想像しにくい。中大兄皇子や藤原鎌足らに暗殺されたとき、蘇我入鹿は痛かったんだろうか、本能寺で焼死した織田信長は熱くなかったんだろか? などとは考えない。私たちはふつう、そういう生身の身体性を剥ぎ取って記述されたものを「歴史」として教わっているのだから。(本当はそうではないと私は思うのですがね……と言うのは、例えば武田泰淳は『史記の世界』で冒頭に「司馬遷は生き恥をさらした男である――」と書いている。宮刑を受けた者が記述した歴史、「史記」をそういうものとして読む、ということはどういうことなのか、著者の想像力は、2,100年前に中国に実在した人物の身体性に及ぶのである。)歴史を記述する、また後世にそれを読むとは、本来そういうことだろう。(おおむね)
さてしかし、私の身体的想像力ではとても紀元前まではさかのぼれない。ここでは私でも「痛くない」とか「痛そ〜」と想像できそうな時代だけを遡って見ることにする。
小学校2年生頃の記憶だ。
「Mさんがやられたんだと」
「どこで?」
「ほれぇ、本町の角の電気屋の前の空き地。毎年あそこに神輿の御旅所が出来べぇ」
「また喧嘩か」
「ほうょ、ゆんべ明け方なんだけどよ、腹をざっくりやられたっつうぞ。そんで電気屋の壁やら路
地やら血がべっとり」
などという大人たちのひそひそ声が、寝床に居る私の耳に聞こえてくる。年一回、町で最大の夏祭りの夜だ。
エアコンなどはない我が家の、障子などは開けはなったまま、蚊帳を吊って、こちらの部屋だけ暗くした寝床に居る子どもには、聞かせないように大人たちは話しているのだが、そのひそひそ声に、どことなく浮き浮きした感じもまじっているのである。
翌朝、子どもたちは朝飯もそうそうに、家を飛び出し、昨夜耳にした噂の"事件の現場"を見にいく何しろ祭りだ。祭りは宵宮、本宮、あと宮と3日も続くのだ(その間学校も半日で授業は終了なのだ)。
シメ縄や、破れたウチワが散乱し、路上には確かに血の跡らしきものも、点々とある。
「Mさん死んだのか?」
「近藤外科に担ぎこまれて20針も縫ったって」と自慢げに最新情報を伝える子もいる。
もう他の町内の子らも集まってきているのである。
そこへ、ひょっこり、
「そのへんに眼鏡、おっこって、ねえか」と、
たいていは当の噂のMさんが、現れるのである……。Mさんの額にはバンソウコウが貼られているが、腹をザックリという様子は見られない。
「Mさん痛くないの?」と、20針縫ったという情報をもたらした子が訊く。
「痛ぇもんか、このくれぇ。去年なんざオラぁ、ドスで腹ザックリだぞ」
「ふ〜ん、すげぇ、痛くないんだぁ」と、私たち子どもは感心するのである。
(おおむね毎年)。
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